レーシングチームハニービーに加入した1998年
結果としては、
SP400クラス シリーズチャンピオン
SP鈴鹿4時間耐久レース 総合6位
クラス2位
この年、7月の4耐から12月の最終戦まで
レースがなく、その間 全くテストも出来ず
タイトルを決める最終戦の予選ぶっつけでした。
前半戦の結果から、ほぼほぼタイトルを決めていた
ものの、最悪リタイヤになれば 零れ落ちる状態。
結果、最終戦は、7位でタイトルを取れました。
当日、社長もお越しになっており 社長もタイトル得とくに
喜んでくれたものの、僕の中では、こんな
不完全燃焼なレースは、なく
勝ちを狙う亊もできず、無難にタイトルを取っただけの
我慢と悔しさと虚しさしか残らないレースでした。
先に書いたように、全ての言い訳は、通用せず
自分の中で押し殺すしかないのです。
今みたいにブログやSNSで不満をぶちまけたり
言い訳が出来る時代でもなかったものですから
このモヤモヤを打ち消すには、次のレースで結果を出し
リセットするしかないのです。
ただ、僕は、このレースを最後にチームから離脱する亊を
選びました。
結果云々より、自分の走りをしたい!
自分が納得いく走りを周りに見せつけたい!
それだけが離脱した理由。
シーズン中にある知人から言われた言葉がずっと残っていました。
「ハニービーのバイクに乗ってから
前みたいに魅力的な走りじゃなくなったな」と。
チームのマシンは、確かに速かった
でも、走っていて楽しく感じれなかった。
ある程度の仕様変更は聞いてくれましたが
チームとして譲れないところもあり
僕の要望は、全て聞き入れてもらう亊は、できません。
それ以上、言うと言う亊は、正に
「飼い主の手を噛む」という行為になる。
結果としてハニービーのマシンで出したタイムは、
僕の所有していたマシンのタイムに及びませんでした。
チームのマシンは、HRCのキットに加え
チームオリジナルのパーツも組み込まれています
結果、それが宣伝となり、パーツの販売にも繋がるのですから
それを変更するという亊は・・・と言う亊です。
これ以上ない待遇で走らせてもらえ
チームスタッフとも楽しくレースをし
社長からの信頼も得、
チームの望む 仕事は、こなしました。
ただ、 一つ不満があったとしたら
自分の走りができなかった・・・
与えられた環境に馴染みきれなかったと
いう亊でしょう。