2002年 鈴鹿選手権 第一戦こそ
その存在感を示したものの、
その後 両ライダー共 6位入賞圏内がやっとの
状態が続き その流れのまま真夏の4耐を迎える。
それでもレーシングチームハニービーが優勝候補の一角で
ある亊は、間違いなく
ここで、流れを変える為にも、精力的にテストをこなした。
当時の僕達は、現在の8耐チームより
遥かに多くの走行枠があった。
通常4耐出場者占有枠に加え
4耐、8耐の有力チームのみ走れるタイヤメーカー枠、
一番大きいのは、ワークスライダーと一緒に走れるHRC枠だった。
この枠は、ホンダ朝霞研究所と関わりのあるチームでないと
走れない、言わば「ひいき枠」でもある。
理由は、簡単「ホンダ車を勝たせる為」
僕達は、この走行枠を「練習」とは、言わない
勝つ為に準備をする、いわば「テスト」をする場。
あくまでも 出来上がったライダーが予選、本番を想定し
マシンのセットアップやポジションの擦り合わせ
予選の一発タイム出しのタイヤ選択から
本番用タイヤを使用した連続100ラップのシュミレーションを
何度も行う、ちなみに本番用タイヤは、
100ラップしないと、新品を出してもらえない。
晴れだろうが、雨だろうが
あらゆる状況を想定して、全力でテスト項目を消化していく。
そして、迎えた 予選当日
午前に第2ライダーの予選
午後から 第1ライダーの予選
第2ライダー登録の相方 Sの実力は、折り紙付き
順当に行けばグループトップは、確実だった。
予選は、A,Bグループに分かれ
それぞれの第1ライダーと第2ライダーの合計タイムで
予選の順位が決まる。
つまり両方のライダーが速くなくては、予選で上位に入れない。
予選が開始され、計測が始まる
しかし、計測が始まって3周目でSが2コーナーで転倒。
そのまま、走行続行が不可能となり
Sの予選は、終了した。
義務周回数は、クリアしているものの
タイムが上がる前の転倒で順位は、下位に沈む。
Sの落胆は、相当なものだった・・・
本番は、4時間の長丁場とは、いえ
予選の順位は、序盤のトップ争いに加わる為に重要な
必須項目である。
第1ライダーの僕が頑張ったとしても、かなり難しい
他のトップのライダー達とは、良くて同等、彼等より1秒、2秒
速く走るのは、到底不可能。
それどころか、合計タイムで順位を大きく上げるには、
3秒以上は、速く走る必要がある。
しかし、僕には、自信があった
何故なら、天気予報では、午後から雨と出ていたから。
この雨にかけるしかない、
雨が降ればドライよりタイム差が大きく出る
現時点で上位につけているライダーの中には、
ドライが速くても、ウエットになると遅いライダーもいる
ちなみに僕は、ドライでもウエットでも速い。
このパドックにいる中で今、誰よりも雨が降ってほしいと
願っていたのは、僕だけだと思う。
そして、Sも 同じようにそれを願っていたに
違いない。
つづく