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日本むかしばなし 5巻 

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お店を始めた当時、仕事が無くて

 

暇潰しに書いた僕のレース物語です。

 

途中で放置していたんですが

 

一部のコアなファン様から要望を頂き

 

続きを書く事にしました。

 

お時間がございましたら

 

暇潰しにお読み下さい。

 

過去記事 日本むかしばなし 1巻

       日本むかしばなし 2巻

       日本むかしばなし 3巻

       日本むかしななし 4巻

 

加熱していく 車両のパワーアップ競争に見切りをつけ

 

僕は、CBR400RRをHRC推奨の仕様に戻した。

 

その仕様とは以下の通り

 

(車両)1994年式CBR400RR(最終モデル)

 

(ミッション) ノーマル

 

(キャブレター) ノーマル(セッティング変更のみ)

 

(エアボックス) HRCラムエアダクト追加

 

(サスペンション)前後スプリングノーマル

 

(ラジエター) HRCビッグラジエター

 

(外装)FRPカウル

 

(ブレーキ)ブレーキパッド/ホース交換

 

(ステップ)バックステップ

 

(水温計)デジタル化

 

(タイヤ)ブリヂストンSPタイヤ

 

(電装系)HRCレース用ハーネス/レース用ECU

 

      セルモーター、スターターコイル取り外し

 

一見 それなりに改造しているように見えるが

 

これは、市販されている車両をレース用にする

 

ごくベーシックな改造であり

 

うどんで言うと正に「素うどん」

 

麺と汁だけ 当然具無しである。

 

セルモーター、スターターコイル取り外しとあるでしょ?

 

今でこそ 禁止にされているけど

 

当時は、エンジンの回転を少しでも軽くするため

 

クランクの回転に負荷を与える物は、取り外していたんだ。

 

セルモーターが無いから 当然 押しがけ、

 

発電/充電機構が無いから 

 

いつもバッテリーを走行毎に充電していた。

 

この「素うどん」仕様のCBR400RRで戦うと決めた

 

1995年の鈴鹿選手権。

 

練習走行の段階から

 

オートバイの感触は、決して悪くなかった

 

以前の仕様と同じくらいのタイムは、直ぐに出たし、

 

何より キャブレターのセッティングに頭を悩ます事がなくなった。

 

だけど この時点で僕は、解っていなかった

 

今の僕は、単に「パワーアップ競争」から離脱しただけで

 

この仕様に必要な「僕のやらなきゃいけないこと」が

 

すっかりと抜け落ちていたんだ。

 

ただ車両の仕様変更をしただけで

 

僕自身が前と何一つ変わっていない

 

自分では、覚悟したつもりだったかもしれないが

 

深層心理の底を見れば そんな覚悟なんてありゃしない。

 

心理の上辺を覗いてみりゃ そこには、安っぽく

 

「覚悟」がプカプカと浮いているだけだった。

 

もちろん当時の当人は、気付きもしないだろう

 

その浅はかさを露呈するように

 

その年の結果も散々たるものだった。

 

相変わらず15位から20位あたりを浮いたり、沈んだりの

 

糞リザルトは、自分の愚かさをそのまま

 

プリントアウトしていくように枚数を重ねていった。

 

ロードレースを始めて 5年経ったが

 

鳴かず飛ばずとは、よく言ったものだ

 

これ以上 続けてみて 何かあるのか?

 

もう いいんじゃないか・・・・

 

適当なところで幕引きするのも大切だろ、

 

充分やったし

 

レースだけが人生じゃない。

 

言い訳は、しないが 自分を肯定する台詞は、

 

いくらでも 用意できる。

 

僕は、結局 こういったルーティンを繰り返す事に慣れて、

 

そこから抜け出す思考もち合わせていなかったのだろう。

 

チームの仲間たちも一緒だ

 

レースにエントリーする

 

レース日に集まり、パドックで大風呂敷を広げ

 

予選が始まり 予選を走り

 

予選に落ちれば手伝いか観戦

 

予選を通過した者も 特別 自分自身に期待する事なく

 

決勝レースを走り 真ん中より下の順位でレースを終える。

 

適当に打ち上げをして お開き。

 

そして、また ゾロゾロと集まり 同じ事を繰り返す。

 

彼らも僕も そうすることが普通で

 

あえて そこから鼻息荒く 抜け出すような事もしない

 

時が経てば 何かしら変化が起き、

 

今と違う人生が待っているんじゃないかと期待もせず

 

漠然と走り続けていたにすぎない。

 

そんな日々も5年過ごしゃ いいかげん飽きてくる

 

チームの仲間達は、嫌いじゃない

 

一緒にいたら それなりに楽しいしね。

 

ただただ 今のレース活動も今の自分にも飽きた。

 

そして

 

翌年 結果が残せないなら レースを止めて

 

三重を去る そう 決めた。

 

それが 唯一 僕が出来る自身への

 

慰めと追い込みだったのだろう。

 

もちろん そんな安っぽい追い込みで

 

結果が残せるほど レースの世界は、甘くない。

 

つづく

 


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